トラウマのフルコースを堪能してしまった

あら、やだ。
私この前こんなブログを書いたところだったのか🫣

まだ、このブログを書いた時はまだまだ気分の落ち込みから回復できていなくて、メンタルクリニックでいつもと違う漢方を処方してもらった、くらいのタイミングだったかもしれない。

いつもはイライラを止めたい感じの漢方だったけど、感情が過敏になっているのを整える的なやつにしてもらった!
不調のきっかけとしては、何かあったかと言われれば一応あった。だけど、それ自体はそんなに大きなことではない。でも浮上してきた今率直に思うのは、その出来事は私のメンタルが落ち込んでしまうきっかけに、なってしまう出来事としては十分だったということ。
ぱっと見大きなことじゃない。だけど、それは私の心を大きくブンブン振り回してしまうような、大きなことなのだ、と受け入れなければならない、とやっと思えるようになった。
我慢をすれば何とかなるんだ、って諦めつつ何もなかったかのように振る舞えるのは、子どもの間だけなのだ。子どもにそんな我慢をさせるのは、本当は良くない。私は大人になって、それを知ってしまった。あれは辛いと言っても良かったことだった。大丈夫なふりをしていたけれど、全然大丈夫じゃなかったし、この後に及んでも「大きなことではない」なんて言ってしまうほど、まだ我慢をしたり、なかったことにしようとしている。
今回起こったことは、よく聞き込んだCDアルバムの1曲目を聞くとその後の流れもまとめて思い出してしまう、みたいなのと似ている気がした。
意図せず、トラウマっぽいやつを体験してしまった、それはCDアルバムの1曲目を聞いてしまったということ。そこから繋がる流れを、どうしても止められなかった。途中でCreepy Nutsのニューアルバムに切り替えられればよかったのに。
でも、宇多田ヒカルの「Wait & See 〜リスク〜」を聞いておいて、何千回か聞いたアルバム「Distance」の流れを考えずに、何事もなかったかのようにCreepy Nutsに切り替えられるか、というとそれはすごく難しいことだ。だから切り替えるなんて無理だったし、起こったことは事実なのだ。
そんなこんなで、私は2月は子どもの頃のトラウマのフルコースを堪能する、みたいなことをしてしまったのだけど、でも今そこそこ元気になってきたので、3月はもう少し楽しんでいくよ!