福山雅治「dogi-magi」を久しぶりに聴いて、つらつら考えたこと

めっちゃ久しぶりに聞いたけど随分解釈が変わった😂
— あさもっちゃん|自分軸手帳運営 (@asamofukuyama) August 22, 2025
「僕は困っちゃうよ」ちゃうねん、こっちも毎日必死やねん。ハラハラでもさせんと気が付かへん、どんだけ説明せなあかんねん、子どもとの夏休みそれどころちゃうねんというアンサーソングかけそう😂
Dogi-Magi https://t.co/EeGyXzufDt
パソコンに向かいながら、BGM代わりに福山さんの曲を次々と再生していました。今月末に35周年コンサートに行く予定があるので、その予習もかねて。すると、ひさしぶりに耳にした一曲に、思わず心をブンブン揺さぶられてしまったのです。
25年前のアルバムに収録された『dogi-magi』。あの有名な「桜坂」と同じアルバムに入っているのですが、きっとコアなファンでないと知らないかもしれません。ちょっと不思議で異世界感のある曲なのに、今の自分ともなぜか重ね合わせて聴ける――そんな不思議な感覚がありました。
男性目線の曲で、彼女に振り回されてる的なストーリーの曲なのだけど、この曲って福山さんが歌うからこそ、すごく意味があるよなぁ〜福山さんの魅力が発揮されているなぁ〜ということに改めて気がつきました。
自分の魅せ方を知っているって、すばらしい!
福山さんに「僕は困っちゃうよ」って、男性の苦悩について歌われたら「そうなのか〜もうしょうがないなぁ、優しくしてあげよっかな」って思っちゃうんですよね。

夫とギクシャクしている時に聞いたら、夫に対してもほっこりした気持ちになっちゃった😍
と同時に、夫とは文字通り恋人の関係ではなく夫婦となっており、子ども2人が小学生の夏休みが終盤に差し掛かろうとしている今、この曲を聴いて感じたのは
何が「僕は困っちゃうよ」やね〜ん!
ということでした!

さっきほっこりした言うてたのに〜
毎日、いつどんなタイミングで子どもが話しかけてくるかわかりません。そのたびに一生懸命答えながら、仕事や家事や家事にも向かって、毎日必死に生きているのです。なのに夫は子どもが起きる前に家を出て、仕事から帰ってきて初めて子どもと対峙したのに、イライラして怒ったりしている。その姿を見て、私まで腹が立ってしまうことがしょっちゅうある、ということが頻発しています。
夕方の子どもの喧嘩にイライラするのは理解できるんです。だけど、あの瞬間的に反応するのなんなんですかね?刺激と反応の間にはスペースがあるって、7つの習慣のコヴィー先生もおっしゃっているのご存知ですか?瞬間湯沸かし器か何かなのでしょうか?
…と、まぁ私もその刺激に反応してしまっているのですが…
夕方に子ども→夫→子ども→私→夫…と反応に反応しあう、イッツオートマティックな苛立ちしか生まない化学反応を繰り返すことは、本当に毎日後味が悪いものです。
私にできるのは、まずは自分がそこに巻き込まれないように整えること。そこから子どもたちを満たすことですが、その辺りは引き続き無理ない範囲で気をつけていきたいです。夏休みもあと3日ほどとなったので、何とかやり過ごせるかな。日常が待ち遠しい!
そしてもう少し「dogi-magi」を繰り返し聞いて「しょうがないなぁ」という気持ちを呼び覚ましてみようかな。今このタイミングでまた出会えたのにはきっと意味があるのだろう。